ロードバイクで行く熊野古道・伊勢路【旅行体験記】
2022年6月6日〜8日にかけて、熊野古道・伊勢路170kmをロードバイクで旅してきましたので、その様子をご紹介します。
幕府による統治や人々の生活の道として整備された中山道と異なり、熊野古道は巡礼道。
庶民の「祈りの道」として親しまれた伊勢路は、まさに八百万の神の宿る道でした。
旅程
伊勢神宮から熊野速玉大社までの170kmを2日半で目指す道のりです。
伊勢路はJR東海・紀伊本線と並走しているため、万が一のトラブルでも安心です。
詳細ルートはこちら↓
走行距離 | 約240km |
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獲得標高 | 約3200m |
走行期間 | 2日半 |
※伊勢路本来のルートは170kmですが、迂回したり迷ったりしたせいで走行距離が伸びてます。
伊勢路は途中いくつも峠道があるため、自転車を担いで登ったり、時には迂回して進みました。
今回超えた峠は次の6つです。
- 女鬼峠
- 三瀬坂峠
- 荷坂峠
- 一石峠
- 馬越峠
- 松本峠
1日目:伊勢神宮〜古里温泉村(約100km)
1日目は伊勢神宮の内宮をスタートし、紀伊長島、古里温泉の民宿「はま風」さんを目指します。
伊勢神宮内宮をスタート
この日は朝から雨。天照大神の手荒い歓迎を受け、伊勢神宮をスタートします。
伊勢神宮の社殿は我らが木曽路のヒノキを材木にして建てられているのは、今も昔も変わりません。
木曽出身の僕を、雨の御神酒で乾杯してくれたのでしょう。
伊勢神宮からおかげ横丁を通り、伊勢街道を走ります。
伊勢市内は栄えているので車通りも多く、周囲の車に注意が必要。
雨の日はリアライトをしっかりつけて、周りの車に自分の存在をアピールしましょう。
伊勢街道・熊野街道の昔の街並みをすすむ
伊勢を出てからしばらくは、歴史がありそうな木造建築が点在する集落を抜けていきます。
しかも今も人の生活が感じられます。
旧道好きにはたまらない景観ではないでしょうか。
女鬼峠
その昔、伊勢参拝を済ませた旅人たちが白装束に着替え、はるか遠い熊野を目指した熊野詣。
その最初の峠が女鬼峠です。
女鬼峠の切り通し
峠の山頂部は、人が通れるように岩を切り開いて道が造られています。
狭い道ですが短い距離なので、自転車を押して行っても全く問題なく通れます。
女鬼峠の道はかなり整備されており、歩きやすい峠でした。
鳥のさえずり、雨が滴り流れる音。
誰もいない静かな峠の中。
祈りの道の始まりを感じる峠です。
伊勢の源「宮川」を川上へと登っていく
女鬼峠を越えると、伊勢湾に注ぐ「宮川」に沿って上流へ登っていきます。
宮川にかかる橋を何度も何度も渡り、宮川の右側を走ったり左側を走ったり。。。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか山間部の奥まで入り込んでいきます。
宮川の上流にきたことで川幅は小さくなり、両脇に青々とした山が聳えます。
ここからさらに登りはつづき、霞がかる山々の奥へとへ入り込んでいきます。
三瀬坂峠
伊勢路2番目の峠、三瀬坂峠にに入ります。
三瀬坂峠の登り口へは、現在の国道からは大きく迂回が必要です。
これは明治時代に実施された熊野街道大改修に伴い、主幹道路が従来の熊野街道を通らなくなったためだそう。
従来の熊野街道は、すぐ脇を流れる宮川の度重なる氾濫に悩まされていたことから、改修によって三瀬坂峠は主幹道路から大きく外れることになったようです。
たくさんの生き物が歓迎してくれる峠
三瀬坂峠では非常にたくさんの生き物が出迎えてくれました。
サワガニ
お食事どころ「いとう」にてイノシシを食す
荷坂峠の後半は美しい沢が走る
美しい常緑樹の林に沢の水。雨でも濁りなく透き通っています
緑が豊かで、土壌が崩れることがない証拠ですね。
荷坂峠の出入り口には、「荷坂峠まもる会」からのあたたかなメッセージが建てられています。
荷坂峠を下ると、美しい石垣も。
荷坂峠を越えると、だんだんと紀伊長島の海の香りが漂い始めました。
長い内陸の旅路を経て、ついに海を眼前に収めます(写真がない)。
一石峠
そして1日目最後の峠道、一石峠へ。紀伊長島から古里温泉村を隔てる峠です。
歩いていると、ほんの20m先をシカが通りすぎて行きます。
本当に自然が豊かな道です。
古里海岸民宿村「民宿はま風」さんで1泊
一石峠を越えると、本日の宿泊地、古里海岸民宿村に到着です。
ここにはいくつか民宿があるのですが、どの民宿もGoogleマップの評価が高い。多分どこ泊まっても外れないです。
数ある民宿の中から今回お邪魔したのは「民宿はま風」さん。このお宿がもう大あたり。
めちゃくちゃ良いお宿でした。
浜風さんは70代くらいの女将さんがお一人で経営されてるお宿。食事が本当においしいし、めちゃ豪華。
- ハモのお造り
- 伊勢海老のお刺身
- カツオのカルパッチョ
- カツオの漬け丼
- 蒸し岩牡蠣
- マンボウのしゃぶしゃぶ
- エビのカダイフ揚げ
これでもかというくらいの量が出て、お腹が苦しくて仕方なかったです。
お部屋も広くて快適だし、お風呂も24時間入り放題。
部屋で崩れ落ちる
走っていた時はアドレナリンが出ていたせいか、雨でも元気よく走ってこれました。
しかし部屋に入った途端、どっと疲労が押し寄せてきて、崩れ落ちるように横になりました。
すぐ側には温泉の入れる施設もあったのですが、もうそこまでいく元気もない、、、、
お食事を頂いたら、泥のように深い深い眠りにつきました。
1日目まとめ
1日目は通して雨でしたが、それもまた美しい熊野古道の演出だった気がします。
霞がかる山々、雨でも濁らない清流。
活発に動くサワガニやカエルたち。
瑞々しく光る苔や草木。
どれをとっても美しい風景でした。
2日目:紀伊古里温泉村〜熊野市(約95km)
2日目は峠を馬越峠と松本峠に絞り、他は迂回しました。
伊勢路は小さな峠がいくつもあるので、体力と相談して峠を越えるか否か決めると良いでしょう。
古里温泉村を出発【朝6時】
2日目は4時に起きて出発の準備を開始。前日までの雨が嘘のように晴れやかな空が広がっていました。
お宿の風呂が24時間入れたので、朝風呂で体を温めて入念にストレッチをしながら前日の疲労を確かめます。
筋肉痛はあるものの、今日は一日晴れのようだし、楽しく走れそうな予感。
女将さんの心づかいに感動
朝が早いのでお宿に朝食を頼みませんでしたが、次のコンビニまではまだ20kmほど行かなくてはなりません。
実はこの日の朝食用にとっておいた補給食を、昨日の夕食前に我慢できずに食べてしまったのです 笑
古里海岸で一泊するなら、一石峠を越える前に、紀伊長島で食料を調達しておくのがおすすめします。
ハンガーノックが少し怖いので、民宿の自販機にあったカルピスと三ツ矢サイダーで糖分補給。
「これでなんとかなるやろ!!」
と自分に言い聞かせて出発しようとすると。。。
玄関先にまとめた荷物を荷物の横に、おにぎりがそっと置かれているではありませんか。
女将さんが用意してくれたものでした。めちゃ嬉しい。しかもちゃんと温かいし。。。
この時まだ朝5時。わざわざ早起きして作ってくれたのかと思うとめちゃ感動しました。
1人だけの客でこんなに親切にしてもらって本当にありがたいです。
民宿を立つときに女将さんとご主人に会えたので、お礼を言って出発。
早朝に発つことを伝えてたので、前夜に精算等全て終わらせて、女将さんにも合わない予定でしたが、この心遣い。。。
馬越峠
古里温泉郷から20kmほど進むと、馬越峠に到着です。
馬越峠は総全長1,000kmにも及ぶ熊野古道の中でも、随一の美しさを誇る石畳で有名です。
紀南地方は昔から降水量が非常に多かったことから、道が崩落を防ぐために石畳が整備されたそうです。
馬越峠を越えた先にある尾鷲市は。今でも全国トップの降水量なんだとか。
馬越峠の石畳は噂に違わぬ美しさでしたが、この石畳が自転車乗りには地獄でした。。。
急勾配&ゴツゴツした石畳で、自転車を押していくのも難しい。
長さ約1km、高低差300mの道のり9割を自転車を担いで登らないといけません。
さらに苔むした石畳が滑る滑る。僕は2回すっ転びました 汗
延々と続く石畳の階段は、修羅の道を思い起こさせます。
難所の頂上で安堵する。
馬越峠の峠の頂上へなんとか到着すると、尾鷲市が一望できます。
この旅で一番安堵した瞬間だったかもしれません。
自転車担ぐのがしんどくて、何度何度も引き返そうか悩んだので。。。。
便石山「象の背」は断念。。。
馬越峠の頂上から西へ進むと、便石山「象の背」という絶景ポイントに行けます。
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時間があればここも行ってみたいと思っていましたが、馬越峠山頂の案内板に
「便石山:2400m 徒歩120分」
とあったので断念。
馬越峠の石畳でズタズタにされていた、僕の心を挫くには十分なパワーワードでした
リアス式海岸の絶景
馬越峠のふもと、尾鷲市を抜けると、熊野街道は複雑に入り組んだリアス式海岸に沿いを進みます。
曲がりくねった道筋は、
- 走行距離が伸びる
- アップダウンを繰り返す
など、自転車乗りには非常に厳しい地形。
しかし、小さな山を登り切った先に見える景色は圧巻。山と海の織りなす絶景を楽しめます。
対岸に見える山々は、離島ではありません。自分が走ってきたところです。
振り返ると随分遠くまできたなあと実感できるのも、リアス式海岸を走る大きな魅力の1つかもしれません。
海に注ぐ川の水が綺麗すぎる
熊野古道を走って驚いたのが、海に注ぐ川の水が綺麗すぎること。
三重県南部は海のすぐそばに山がある地形なので、山の清流が直接海に注がれていて、めちゃくちゃ綺麗です。
海といえば愛知や新潟、東京くらいの海しか見たことがなかったので、こんな綺麗な河口があることに感動しました。
自分は長野生まれなので、清流自体は珍しくないんですが、海に注ぐ清流というのは新鮮でした
松本峠
馬越峠越え+リアス式海岸のアップダウンに足が限界を迎えつつも、なんとか本日最後の峠、松本峠に到着。
松本峠も美しい石畳が見られる峠でした。
鎌倉、江戸、明治と時代を経て整備されてきた松本峠の石畳は、整備された時代によって特徴が異なるそう。
- 明治時代:加工された石が隙間なく敷き詰められている
- 江戸時代:自然のいしを活用して、坂の部分は石間を狭く、平坦部は石間を広くしてある
- 鎌倉時代:荒い自然石で、石間は広く空いている
時代によって石の加工技術が向上し、石畳も大きく変わっているんですね。
松本峠も石畳で自転車で行くのは少し大変ですが、馬越峠の3分の1くらいしかないので、そこまできつくはありません。
平日だったからかこの時はひと気がなくて、鹿と猿の影が林の向こうに見える。
猿の「キーッ!!!」という声に対抗して、
「なんじゃー!!」と大声を出してこちらの存在をアピール。
木曽の猿にはある程度耐性があるんですが、知らない土地の猿はちょっと怖いことがわかりました。 笑
ホームとアウェー見たいな感覚かな?
山頂には美しい竹林
ごちゃごちゃ考えているうちに、山頂に到着、
山頂近くでは、美しい竹林の道を歩けます。
東屋から世界遺産『七里御浜』と熊野市街を望む
松本峠山頂から東へ歩いて5分ほどの「東屋」は七里御浜を一望できる絶景ポイントです。
美しい海岸線はもちろんですが、これまで大自然の中を孤独に走ってきた自分は、熊野の市街地が見られて大きく安堵。
当時の旅人もこんなように熊野の街並みを見てさぞ安堵したのではないでしょうか。
熊野市街へ到着!!
松本峠を下ると、本日の目的地熊野市街へ到着です。
コンビニあり、スーパーあり、飲食店あり。
なんでも揃う現代の街並みは、熊野古道の異世界から旅立った自分が現代へと戻ったような感覚を与えてくれます。
世界遺産『獅子巌(ししいわ)』
海岸の隆起と海の浸食によって、獅子の頭の形に見える岩。
「日本のスフィンクス」なんて呼ばれているようです。
この獅子岩があるため、近くの大馬神社では狛犬を置いていないんだそう。
面白いですね。
熊野市の宿「旅のやど はるさめ」さんに到着
熊野市を抜けると、本日の宿「はるさめ」さんに到着です。
ここは家を一棟まるまる貸してもらえる開放感あふれるお宿。
中庭には猫がたくさんいて、癒しを与えてくれます。
猫ちゃんたちは宿泊客が来ると餌がもらえると思って、めっちゃ寄って甘えてくるのですが、これがめちゃ可愛い。。。。
フロントにちゅーるも売ってるので、あげたらめちゃ喜ぶでしょうね
(あげたら一生付き纏われそうだったのであげなかったけど)
ツインですが一人で宿泊させてもらいました。
一人だと若干料金上がりますが、それでも一泊5800円(食事なし)。
お食事はつきませんが、近くにお店はたくさんあるし、出前もOKなので困ることはありません。
丸山千枚田を目指すも、足が限界。。。
熊野市街についた時点でまだ16時台だったので、棚田の絶景で有名な「丸山千枚田」を見に行こうと、再出発。
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しかし、丸山千枚田は熊野市街からは20km以上続く上り坂。。。。
延々と続く上り坂に、これまで酷使してきた僕の足が悲鳴をあげます。今日の自分には無理だと判断して、途中で引き返してきました。
また今度行きたい場所になりました。
2日目まとめ
2日目は快晴で、熊野の美しい景色を楽しめました。
山間部を走った先日から一転、今日は海岸線を走るコース。
熊野の海はすぐ山があるので、美しい海と山のコントラストを楽しめました。
8割がたは誰もいない山道を孤独に走るので、時折ある小さな港町が癒しポイント。
街ゆく人にあいさつすると、みんな笑顔で返してくれるので、元気をもらえますよ。
3日目:熊野市〜熊野速玉大社(約20km)
ついに迎えた最終日は、熊野から20km先の新宮市にある熊野速玉大社を目指します。
※記録アプリが37kmになっているのは、往復したため。
七里御浜海岸
熊野市〜紀宝町にかけて約22Kmにわたる日本一長い砂礫海岸。
伊勢〜紀伊長島までは内陸の山々、尾鷲〜熊野はリアス式海岸、そして熊野から紀宝町までは砂礫海岸と、伊勢路の景色はさまざまにその特徴を変えていきます。
変化に富んだ、本当に美しい世界でした。
本来の熊野古道は海岸自体
七里御浜海岸は『浜街道』と呼ばれ、海岸そのものが熊野古道の一部になっています。
自分は自転車なので脇の道路を走りましたが、本来は海岸を歩くのが正解です。
峠越えが続く伊勢路にあって唯一、海岸沿いを歩く平坦なコース。
自転車では走れませんが、歩くにはピッタリ。非常に贅沢な街道です。
熊野速玉大社
熊野川にかかる橋を渡り、和歌山県に入るとまもなく、今回の最終目的地の熊野速玉退社に到着しました。
全長170km(迂回したので200kmくらい)+6つの峠を自転車を担いでたどり着いた速玉大社。
非常に感慨深いものがありました。
清々しい早朝の境内に響くのは、鳥のさえずりと、住職がほうきでお掃除をする音だけ。
普段神様なんて信じないタチですが、この瞬間だけは神に感謝してしまいました。
でもやっぱりたどり着いた達成感より、この旅が終わってしまう寂しさの方が正直大きかった。。。。
そう感じれるのも、旅が安全にできる現代だからこそなんでしょうね。
昔の人たちはここまで来るのも命懸けだったわけで。
今の時代に何不自由なく暮らせていることに、感謝しないといけないなと。
Kokoro食堂
熊野速玉大社で今回の自転車旅は完結したので、熊野の地に住む友人と合流。
この地で人気のお店Kokoro食堂さんへランチに連れて行ってもらいました。
アマゴの南蛮漬けと石清水豚のトンテキ定食。
一年中温暖で雨量も多く、栄養たっぷりの熊野の地で育った最高の食材たちは、あっという間に胃袋に吸い込まれてしまいました。
自転車旅のデメリットのひとつだと個人的に思うのが、ご飯がいつの間にか消えてて味わって食べれないこと。
めちゃ美味しいものなのにがっついて食べて、すぐ完食してしまいます。笑
お米がツヤツヤしてたので、お米だけでも楽しみたかったのに、気づいたら全部おかずと一緒に食べ終わってました。。。
輪行で木曽路・奈良井宿へ
友人に熊野市駅まで車で送ってもらって、特急南紀号で長野県・奈良井宿へ帰ります。
旅の最後にもトラブル発生
携帯空気入れの破損に続き、ここでもうひとつトラブル発生。
自転車をパッキングした時に、エンド工具がないことに気づきました。
エンド工具:チャリのホイール外して、小さく運ぶ際に必要な部品です。
きっと初日、伊勢市駅で自転車を組み立てた際に忘れてきたんだと思います。。。。
仕方ないので縦置きの輪行袋に、無理やり横向きに入れて帰りました。
特急南紀はデッキが狭いので輪行に注意
伊勢勝浦〜名古屋を走る『特急南紀』はデッキが狭いので、輪行には注意が必要です。
特に2両編成の場合は1〜2号車間にしかデッキがなく、運転席前のスペースにチャリを置くのも難しいです。
自転車置けるのはこのスペース↑くらい。でもここに置くと自動ドアのセンサーが反応してドアが閉まらなくなってしまいました。。。
↑反対側はトイレと洗面スペースで置く場所がありません。
車掌さんに相談すると、車椅子の方の座席スペースを使わせてもらえました。
今日は空いているということで使わせてもらえましたが、ご利用の方がいたら使えないので注意です。
やっぱりできるだけコンパクトになるように輪行は縦置きの方がいいですね。
エンド工具など多少荷物は増えちゃうかもですが、他の乗客に極力迷惑にならないように。。。。
電車で来た道を振り返れるのも伊勢路の魅力
熊野古道・伊勢路はJR東海の紀伊本線とほぼ並走しているので、車窓から今まで走ってきた道を眺めて帰ることができます。
これも輪行旅の1つの楽しみではないかと思います。
辿ってきた道が一瞬で巻き戻されていくと、旅が終わることへの大きな寂しさが込み上げてきました。
「まだ終わって欲しくない、もっとゆっくり走ってくれ・・・・」
という僕の思いなど知る由もなく、特急南紀はどんどんと北上し、伊勢をかすめて終点・名古屋への道のりをあっという間に終了させてしまいました。
名古屋から奈良井へ
名古屋からは、見慣れた313系の電車で奈良井までゆっくりと鈍行列車の旅。
スマホに今回の旅行で感じたことなどを打ち込みながら電車に揺られていると、あっという間に奈良井宿に到着しました。
奈良井についた頃には19時半。標高950mの奈良井は、6月でも夜はまだ冷えます。
熊野市との温かさの違いを文字通り肌で感じ
「帰ってきてしまったなあ。。。」
と思うのでした。
旅を振り返って
熊野古道・伊勢路は170kmの道中にいくつもの顔を見せてくれました。
初めは伊勢街道、古い建物が点在する歴史ある街並みと古道。
そこから少し南下すると、美しい山々に囲まれた自然と田園の風景が広がります。
さらに進むと、リアス式海岸が織りなす山と海のコントラスト。
そして熊野速玉大社の目前では、七里御浜の美しい海岸と、朝日に照らされた穏やかな水面が迎えてくれました。
本当に全てが神秘的な道。
万物に神が宿ると考えられる日本において、熊野古道伊勢路は『祈りの道』の名に偽りなしです。
熊野古道と中山道
僕の地元を通る中山道も熊野古道と同じく古い街道ですが、それぞれの道の目的を考えると、当時の人の心情は全く違うところにあったのかなと思います。
熊野古道は熊野三山への巡礼道であり、自らの意思で歩かれた人が多かったはず。
一方中山道は参勤交代や商売など、必要に駆られて歩いた人が多かったんじゃないかなと。
そんな当時の人々の心情に心を忍ばせながら走ってきました。
中山道歩きが一区切りついたら、熊野古道もぜひ行ってみてください。
伊勢路の旅で何か聞きたいことがあれば、遠慮なく連絡ください〜
次回は中山道・鵜沼宿から京へ
次回の旅は中仙道旅の予定です。
奈良井から岐阜県の鵜沼宿までは走破済みなので、鵜沼から西へ、京都三条を目指します。
どなたか一緒に行ってくれる方いらっしゃいましたらお声がけください。